11月11日「介護の日」にちなみ、なら介護の日では介護について理解と認識を深める活動・イベントを行っております。

親守唄・歌会2011 入選作品集

ありがとう
今の自分にできること
伝えたいこと
母さんの心はいつもバラ色
ぼくの 母さん
ありがとう


古いアルバムを開けば いつもそばに寄り添っていた
父さんと母さんの笑顔が 僕を優しく包んでくれた
やがて僕も大人の仲間入りをして 曲りなりにも家庭を築いた
子を持つ親になって初めて いろんなことがわかりはじめた
あの時父さんを怒らせたこと あの時母さんを泣かせたこと
ごめんね ごめんね わがままな僕だったから いつもいつも困らせてばかりで
父さん 母さん 生んでくれてありがとう!
父さん 母さん 育ててくれてありがとう!

人生の黄昏時を迎え 刻み込まれたしわに目をやれば
幾つになっても子供のままの 僕はいったい何をしてあげられるのだろう
 

この歳になってようやく認めた そう 心から尊敬していますと
 

子を持つ親になって初めて いろんなことがわかりはじめた
 

あの時父さんの背中のぬくもり あの時母さんの胸で泣きました
 

ごめんね ごめんね 弱虫な僕だったから いつもいつも困らせてばかりで
父さん 母さん 生んでくれてありがとう!
父さん 母さん 育ててくれてありがとう!
あの時の父さんのままでいてください あの時の母さんのままでいてください

ごめんね ごめんね 頼りない僕だったから いつもいつも困らせてばかりで
 

父さん 母さん 生んでくれてありがとう!
 

父さん 母さん 育ててくれてありがとう!
 

父さん 母さん 生んでくれてありがとう!
父さん 母さん 育ててくれてありがとう!

 
作詩作曲者:鈴木祥之(大阪府守口市・49歳)
  両親にはいつも心配と迷惑をかけっぱなしです。その感謝の気持ちを歌で伝えようと作詩作曲しました。両親共に健在で、これからも長生きしてもらいたいと思います。
「ありがとう」という言葉だけでは言い尽くせない思いで一杯ですが、それでも心から「ありがとう」と言いたいです。

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今の自分にできること


当たり前の日々と
見慣れた景色
息が詰まりそうな世界に
押し潰されちゃいそう
 

段ボールには
優しいお母さんの文字
「ありがとう」なんて言葉
照れくさくて
すぐに言えないけど
 

いつになったら
素直になれるんだろう
 

週末になったら
故郷(そっち)に帰るから
楽しみにしててね
元気な顔見せるよ
特別なこと
何もできないけど
いつか素直になれたら
ちゃんと親孝行するから
それまで
笑っていてね
 

反抗期やケンカ
いろいろごめんね
なんてことないことでも
苛々してたんだ
 

それでもぶつからず
冷静なあなたに
もどかしい この気持ち
ぶつけてしまったね
 

自分もいつか
子供ができて
同じことできるかな?


週末になったら
故郷(そっち)に帰るから
楽しみにしててね
元気な顔見せるよ
特別なこと
何もできないけど
いつか素直になれたら
ちゃんと親孝行するから
それまで
笑っていてね
 

産まれた時から
今日のこの日まで
そしてこれからも
繋がってゆくんだね
 

猫背だろうが
口うるさかろうが
どこの親より
うちが一番 最高!!
 

週末になったら
故郷(そっち)に帰るから
楽しみにしててね
元気な顔見せるよ
特別なこと
何もできないけど
いつか素直になれたら
ちゃんと親孝行するから
それまで
笑っていてね
これからは
ボクが守るから

 


作詩作曲者:渡部美香(茨城県坂東市・29歳)
  思春期が終わって大人になりきれてない頃の親への感謝の気持ちを等身大の目線で描いてみました。

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伝えたいこと


いちばん好きなはずなのに
父と母は喧嘩ばかりしていた
その度に僕は怖かった
そして父母(ふたり)を好きにはなれなかった
 

「僕を生んでくれてありがとう」なんて
今までもこれから先も思わないだろう
 

ただ今は僕にもかけがえのない
愛すべき子供たちがいる
「生まれてきてくれてありがとう」って
心の底から思えるんだ

 

父は野球が大好きで
僕も野球が大好きになっていた
母は歌が大好きで
僕も歌が大好きになっていた
 

求められるように生きられなくて
目指すべき場所もないまま迷い続けてた
 

まるで僕が描いた生き方さえも
さえぎるように拒まれてきた
僕はいつも何も言えなくって
確かに心は離れていった
 

それでも 鮮やかに…


手をつないで歩いた幼い頃の
思い出は今も優しくて
温もりは時が流れても
僕の心に残っている
 

そして今は僕にもかけがえのない
愛すべき子供たちがいる
「生まれてきてくれてありがとう」って
心の底から思えるんだ
 

それを父母(ふたり)に伝えたい



作詩作曲者:吉田 洋(奈良県奈良市・46歳)
  歌詩の通り、私がもの心ついた頃から、両親は喧嘩ばかりしていました。また6人兄弟姉妹の8人家族で貧乏暮らしそのものだったこともあり、家族全員、仲が良いといえるものではありませんでした。今は6人とも結婚して実家を出て、全国バラバラに生活しており、ほとんど会うこともありませんが、幸いにも両親含め、全員が元気に暮らしています。この歳になっても、反抗期の頃そのままに、両親とは素直に会話することができないのですが、80歳近くなってきた両親に対して、恩返しとまではいかなくても、音楽を通して何か伝わればとの気持ちで制作しました。

 

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母さんの心はいつもバラ色


1.母さんの心は いつも バラ色よ
  片目は手術で とじたまま
  それでも それでも 新聞を
  すみからすみまで 読んでしまう
  これが一日の 仕事です
 

2.母さんの心は いつも バラ色よ
  今では歩行も できなくて
  それでも それでも 楽しみは
  自宅で おふろに いれてもらい
  にっこり笑って いい気持
 

3.母さんの心は いつも バラ色よ
  両耳聞こえず 会話できず
  それでも それでも 知っている
  昔のことから 今のこと
  我がやの大事な 生(いき)字引
 

4.母さんの心は いつも バラ色よ
  九十数年 生きぬいて
  いろんな 苦労を のりこえて
  ぐちない 負けない 頼らない
  みんなの手本の 生き方を
  百歳までも 生きぬいて
 

作詩者:瀬戸恵津子(神奈川県伊勢原市・71歳)
  17年間介護した母を亡くして8年がたちます。
母を介護している時の母の様子を詩と曲にしました。私の手本にしたい母でしたので、時々思い出して歌っています。

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ぼくの 母さん


1.母さんが歌ってくれた 子守唄
  ぼくはいまでも おぼえてる
  やさしい声で 歌うから
  ぼくはついつい 眠っちゃう
  そんな母さん 大好きだった
  長生きしてね いつまでも
  自慢のできる 母だった
 

2.母さんが聞かせてくれた あの話
  昔ばなしや 童話だね
  猿や兎や 蛙たち
  仲よしこよしが 大事だと
  いつも母さん 教えてくれた
  ほんとにそうだ 大切だ
  ぼくの心に しみ込んだ
 

3.父さん母さん 年を取り
  ぼくも所帯を もちました
  日本一の 母さんが
  育ててくれた ぼくだから
  父親らしく なれたのですよ
  ほんとに母さん ありがとう
  あの日の写真が 笑ってる
 

作詩者:鈴木蝶次(宮城県柴田郡・77歳)
  三十年たって知ったこと、それは母が継母だったことです。
実母は私が生まれた翌日に亡くなりました。時に厳しく、そしてやさしく私と兄を育ててくれた母は93才で天寿を全うしました。いまでも実母だと思っています。人一倍感謝の気持ちを込めて作詩しました。

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