11月11日「介護の日」にちなみ、なら介護の日では介護について理解と認識を深める活動・イベントを行っております。

親守唄・歌会2023 入選作品集

≪親守唄大賞受賞≫ 春よ
作詩/古賀仁(神奈川県伊勢原市/85歳)作曲/萩原千晶(神奈川県海老名市/48歳)
≪親守唄優秀賞≫ 冬の光 作詩/鍋倉清子(宮崎市/79才)
≪入選≫ ふる里帰り 作詩/杉たいら(新潟県十日町市/85歳)
≪入選≫ 電話 作詩/松本清美(神奈川県横浜市/64歳)
≪入選≫ 母は親父の恋女房 作詩・作曲/加藤哲宣(島根県安来市/64歳)
≪親守唄大賞受賞≫ 春よ(作詩・作曲の部)

戦 敗れた あの時代
妻子残して 逝った父
里の田 冷えては枯れ野原
遍路姿の祖父母達
幸を探して 歩いてゆけば
八十八箇所 めぐりゆく
春が近づく 春が近づく
雪どけ水の連山は
春よ おまえは 春よ おまえは
椿の花を迎え入れ

暗い林の月光り 家族を照らす 父の影
若葉が夜空にふるえてる
あわく浮き出る 春時雨
幸の泉が 今涌き上がる
霧が途切れる 朝ぼらけ
春が訪れる 春が訪れる
モンシロチョウも 東空
春はこの身に 春はこの身に
桜も幸せ咲き誇る
酒を交わしたこともない
写真の中で縮む父
愛する家族と その日々を
是非見せたい 我が想い
幸を見つけて 歩いていけば
いつか笑顔の旅になる
きっと今頃 きっと今頃
母が自慢に話してる
春は命の 春は命の
れんげの里を思い出す

作詩/古賀仁(神奈川県伊勢原市/85歳)
作曲/萩原千晶(神奈川県海老名市/48歳)


 家族への深い愛情と「春」という自然のサイクル、生命の尊さの感動と賛美を、感謝の気持ちを込めて表現しました。(作詩/古賀仁)

 とても健康で元気だった父は、10月13日に事故にあい言語と右手が不自由になってしまいました。今も入院しています。家族やいろいろ方と支えていきたいです。今回のことで、改めて命があることの奇跡、そのありがたさが身に染みました。私が存在していることも奇跡で、そのありがたさを忘れないよう感謝しながら生きていきたいです。

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≪親守唄優秀賞≫ 冬の光(作詩の部)

窓辺の椅子に座って 日向ぼっこ
小さい丸い体になって 折り紙をしている
疲れると いつのまにかベッドに入り
眼鏡を掛けたまま 眠っている
一時もすれば ゴソゴソ起き出し
ベッドに座って 洗濯物をたたむ
丸ボーロを食べて お茶飲んで
昨日の編み物の続きを始める

冬の光は やさしい
まーるく 母を包んでいる

十八歳から産み始めた子供たちに混じって
小まめに 結構楽しく生きてきた
母にとって私たちは
水星 金星 地球 火星 木星 土星
母の周りをぐるぐる
ぐるぐる回って遊ぶ きらきら星だった
お母さんは 私たちの太陽
萎(しぼ)んだ今でも ほかほかの太陽
どの子も飢えることなく 病気にもならず
皆元気に高齢者になって生きている
もう何も思い残すことはないと言い
父が迎えに来てくれるのを待っている
いつかその時になったら 私は
父の両腕に母を上手に渡せるかな…
窓辺の冬の日溜まり中で
母が無心に編み物をしている

冬の光は 暖かく
まーるく 母の姿を包んでいる

作詩/鍋倉清子(宮崎市/79才)

 両親は一人っ子同士で、仲の良い兄妹のような夫婦でした。晩年は病身の父と母と私の3人で暮らし、デイサービスやショートステイを利用して過ごしました。いよいよ最後という時に、主治医から「入院されず、在宅で迎えられるのがいいでしょう」と言われ、私たち兄弟みんな集まりました。父は声帯手術をうけていたので声は出せませんでしたが、私たちを見てニコニコしながら息絶えました。母は「ダメダメ、私を置いていかないで、私も連れてって」と泣きました。95歳でした。
 母は、長い間とても悲しんでいましたが、そのうち話しかけているような父の写真を探してフレームに入れ、眺めて過ごすようになりました。その姿は詩そのもののようでした。

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≪入賞≫ ふる里帰り(作詩の部)

三年振りの 盆帰り
コロナにおわれて 遠のいた
母さん好きな 花咲く小路
カナカナ蝉の 声ききながら
孫と歩ける 墓参り
なれた町並 なつかしく

トウモロコシの 葉がゆれる
秋風吹いて 萩の花
母さん好きな 花咲く小路
黄金(こがね)の田んぼ すゝきがゆれる
青い空とぶ 赤とんぼ
指先とまる やさしさよ
時がどんなに かわろうと
親のぬくもり 忘れない
母さん好きな 花咲く小路
ひあしの長い ふる里 日暮れ
一番星の またたきよ
あすの幸せ あかね雲

作詩/杉たいら(新潟県十日町市/85歳)

 日本中がコロナに振り回され、病院や施設の面会さえもできない状態でした。我が家は毎年、お盆とお正月にはみんなが集まって、いつも20人前後で楽しく食事をしていました。今年になってようやくみんなで集まることができましたので、そうした喜びを詩にしました。
 私の家族は、現在2世帯7人です。昔から大家族で賑やかですが、老人、子ども等と同居がいいと思っていま す。老人と暮らしている家庭の子どもはマナーがしっかりしています。

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≪入選≫ 電話(作詩の部)

「はーい もしもしい」
どこにもない声が聴こえる
お父さんの声
通りすがりの散歩中の犬に
友達の様に話しかける声
ひなたぼっこする野良猫を
優しくながめる声
小さな雑草の花を
きれいやなあという声

お父さんの笑い声
通販番組にすぐ乗って
健康器具を買う声
「へええ」と素直に感心する声
合わんかったと人にあげて
また同じことをする声

そんな声が聴きたくて
毎日電話をする
人の為やねえ 自分の為やと
草をむしるお父さん
三六五日同じ鍋料理
毎日自炊して 朝早くから散歩する
九一歳
私の為に頑張ってること
よーくよーくわかる
お父さんと呼べなかった 長い期間は
お父さんと呼ばれなかった期間
どんどん挽回するから
お父さん お父さん お父さん
たくさんたくさん呼ぶから

離れていてもずっと
私のお父さんでいてくれたから
世界に一人のお父さんなんだから

ずっとずっと呼ばせてね
お父さん

作詩/松本清美(神奈川県横浜市/64歳)

 小6の時の両親の離婚で、父とは長い年月離れて過ごしました。大人になって久し振りに接した時に、私の幼かった頃と変わっておらず、言葉にはしがたい感動を覚えました。地位や名誉や学からは遠いところにいて、屈託のない朗らかさと、他への慈しみの心が染み込んでいて、「こんな人はいない」と思わせてくれる人です。
 そんな父には、「私を育てなかった」という負い目があるように見え、一人娘の私に迷惑が及ばないよう一所懸命自律し生活していると感じています。私は父を尊敬し誇らしく思っているので、その父を讃えたい気持ちがあり、この詩を作りました。

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≪入選≫ 母は親父の恋女房(作詩・作曲の部)

母と暮らし続けて 気づいたことがある
母はわりと可愛い かなり可愛い
ニャンコ ワンコキャラの
靴下 トイレットペーパー
可愛いものを喜ぶ 頬擦りしてる
親父は頑固だったけど 母と話す時は
Ah~ 口調がやさしく変わった
恋女房 恋女房 親父の大事な恋女房
こんな可愛い女なら 惚れないわけはない
恋女房 恋女房 親父が惚れてくれたから
ボクが生まれて来たんだ
生まれて来たんだ

母と暮らし続けて 悟ったことがある
母はとても愛おしい かなり愛おしい
毎朝あいさつ 仏壇にお線香
今も忘れてない 親父を忘れていない
母が倒れた時も 親父は寄り添っていた
肺の思い病を抱えながら
恋女房 恋女房 親父の残した恋女房
こんな愛おしい女なら さぞ心残りだろう
恋女房 恋女房 親父の残した恋女房
及ばずながらずっと見守っているよ

恋女房 恋女房 いつまでも元気で恋女房
二病息災+αに 何とか付き合って
恋女房 恋女房 僕の母親 恋女房
出来るだけ支えるから 元気でいてくれ
可愛くいておくれ

作詩・作曲/加藤哲宣(島根県安来市/64歳)

 病を抱えながらも、先立った父の存在を忘れずに、健気にすこやかに暮らしている母の人となりを描きました。母親、そして父親の人間像を歌に残したいと思いました。
 母が脳梗塞で入院していた時、父にも肺に影が見つかり同じ病院に入院しました。その時に父は自分の病室より母の病室にいることの方が多く…ずっと母をフォローしていたんだと思います。

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