親守唄・歌会2018 入選作品集
神社の境内が子供の遊び場だった頃 今から思えば まだ若かった父と母 |
自分しか見えず 二人を苦しめた若い日々 あの日のあの時のぬくもりを |
作詩・作曲/大橋一公(東京都大田区・57歳)
私が生まれた昭和30年代は、まだ子どもの遊び場は路地裏や神社の境内で三角ベースで野球をやったり、メンコやベーゴマで夕方暗くなるまで遊んでいました。今思うと、本当に温かいいい時代だったなと思います。今も私の心に焼きついている平和な風景です。
私を産んだ母も19歳とまだ若く、無我夢中で育ててくれたと思います。家庭にあまり恵まれなかった母が、自分の分身を得たことはとっても大きな財産だったと思います。
でもそんな可愛い息子も思春期になると何を考えているのか分からない男の子に変わり、ずいぶん父親ともぶつかりました。苦労して会社を大きくして、社会的にも立派な父は、いずれ一人息子の私を会社のあととりとして考えていたのかもしれません。
でも私は勉強がキライで朝から晩までギターを弾いているか、学校をさぼって映画館に入りびたったり、仲間と朝まで遊んでばかりいる若者でした。
このページの先頭に戻る▲
「かあちゃん…」と泣く母を宥(なだ)め 母さんは家にいたかったけれど |
母さんの声 耳に残る |
作詩・作曲/村松正敏(群馬県桐生市・66歳)
二人の子どもを懸命に育て、優しくたくましく生きた母。闘病しながら最後まで精一杯生き抜いた母。母と過ごした日々、交わした言葉を歌にして、記憶の中に残しておきたかった。
この歌を歌うとき、きっと母はどこかで聞いていると思います。「お母さんありがとう」の気持ちを込めて歌います。
このページの先頭に戻る▲
真っ白い髪を うしろから 芽をふく土手の ふきのとう |
色々あった 来し方を |
作詩/小島ひろ美(大阪府貝塚市・68歳)
母は父を送ってから長年、一人暮らしをして何とか農家を守っていました。
だんだん足が悪くなり、病院の付き添い、買物、掃除、洗濯、食事など、時々実家に行き二、三日、傍で身の回りの世話を続けていました。
現在は介護施設でお世話になっています。時々会いに行くのですが、お天気が良くて体調の良い日は、母の車椅子を押して外に出ることがあります。
そんな時、高齢の母と過ごす何気ない親子の時間がとても貴重で愛おしく感じます。
かけがえのないこの時がいつまでも続いてほしいという思いを込めました。
このページの先頭に戻る▲
元気にしとるねと しっかり食べとるね |
ゆっくり歩こうね |
作詩/赤司一博(長崎県佐世保市・62歳)
母が入退院を繰り返し、小さくなっていく姿を見て、今まで私のために一生懸命尽くしてくれたこと、今度は私が恩返ししたいと思い、歌にしてみました。
このページの先頭に戻る▲
振りむけば あなたが其処にいるような はらはらと心に舞った その花は |
薄紅色の山茶花の花 あなたが好きだった山茶花の花が 咲いたよ |
作詩/安井孝夫(千葉県木更津市・74歳)
私の郷里(岡山)の母は、昨年の秋に98歳で旅立ちました。いつも元気で健康的な母でした。私が2年前に帰省した時も、とても喜んでくれました。
亡くなる一ヵ月ほど前、体調が急変し「介護の必要あり」と、弟夫婦がその段取りをした矢先に急逝しました。若い頃は、祖母の介護、親父が病気してからはその介護と、人の世話ばっかりの人生だったような気がします。
花が好きで、いつも傍には花がありました。生け花もやっていました。亡くなる前は、短歌を詠んで私に送ってきました。ワープロで印字して返送するのを楽しみにしていました。
母が生活していた部屋の外にはさざんかの樹があります。この樹は私が子どもの頃からありました。
このページの先頭に戻る▲