11月11日「介護の日」にちなみ、なら介護の日では介護について理解と認識を深める活動・イベントを行っております。

親守唄・歌会2022 入選作品集

≪親守唄大賞受賞≫ 母さんへのマッサージ 作詩・作曲/村松 正敏(群馬県桐生市)
≪親守唄優秀賞≫ 母と桜通り 作詩/新妻 昭光(福島県いわき市)
≪入選≫ 自宅で介護 作詩/細江 隆一(岐阜県加茂郡)
≪入選≫ 聞かせて、もっと 作詩・作曲/増田 浩二(静岡県焼津市)
≪入選≫ いつまでも 中里見 富康(群馬県高崎市)
≪親守唄大賞受賞≫ 母さんへのマッサージ(作詩・作曲の部)

「出来ることは何もかもやり尽くした」と言われ
ドクターの部屋を出る 重い足取りで
長いながい廊下を 母さんの待つ病室へ
笑顔をつくって ドアを開けよう
いつものように 何気ない顔で

できることはまだあると 何度も言い聞かせて
寝たきりの母さんの 手のひらに触れる
どんな時も暖かく 包んでくれた手のひらを
マッサージしよう ありがとう込めて
目を細めて 眠りに落ちるまで
できることは ささやかな マッサージだけれど
薬よりきっと効く 魔法とどけたい
ずっとずっと そばにいて 母さんを守る最後まで
育ててくれた 日々をたどって
手の指 腕 足 1000回のマッサージ

朝 昼 晩 ありがとう込めて
ありがとう 母さん

作詩・作曲/村松 正敏(群馬県桐生市/70歳)

 入院し、母は抗がん剤治療を行っていました。しかし再発し、医師からは「もう手の施しようがない、治療をやめる」と宣告されました。これは、息子の私に伝えられ、母には伝えられませんでした。とても辛い話でした。
 母と一緒に過ごす残された日々が少ない中で、自分ができる精一杯のことを最後までしようと考え、毎日3回マッサージをすることにしました。ささやかな恩返しのつもりでした。

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≪親守唄優秀賞≫ 母と桜通り(作詩の部)

母さん
暖かな春が ようやく訪れました
大好きな桜通りに 提灯が飾り付けられ
母さんは 部屋のガラス窓から
今年も桜を見るのですね
父さんと 桜通りで手をつないで歩く
若い頃の写真を見つけました
なんだか 僕の方が恥ずかしいくらい
それでも微笑ましく見ていました
あと数日で桜が咲き
多くの花見客で賑わうでしょう
そんな風景を
ガラスの窓越しで見る母さんを思うと・・・
もっともっと桜通りを
一緒に歩いてやればよかったと
母さん
暖かな春は 毎年やってきます
薄桃色に 一面染まる桜通り
車イスでもいいから 勇気をもって
僕と一緒に歩きましょう
心が温かくなります

母さん
孫たちがみんな元気でやってきました
大好きな桜通りに
花びらが散りはじめては
母さんの部屋のガラス窓にも
ひらひら舞って降りてきました
初孫をあやしながら 長い道を歩き
元気だったあの頃を思い出します
弱音を吐くことなく 母らしい姿
今でも心強く感じています
孫たちだけで おばあちゃんと
桜通りの道を歩きたいとか
車イスを押す順番でもめています
母さんが幸せ・・・
きっときっと桜通りは
孫達のはしゃいだ声でにぎやかに
母さん
暖かな春ももうすぐ若葉のころに
緑の色で艶やかな桜通り
車イスにこぼれ陽が差し込んだら
僕とも一緒に歩きましょう
心が穏やかになります

母さん
ここが大好きな桜通り
歩けましたね
これからも桜通りは 母さんの思い出づくりに
子供も孫も絆を結び
いつでもそばに寄り添います

作詩/新妻 昭光(福島県いわき市/83歳)

 私が30歳で両親を亡くし、義母が唯一の「母親」となりました。世間はどうであれ、義母であっても「親」に変わりはないのですが、私のところへ来る度に、世間の目を気にしていました。
 そんな義母も、桜の季節になると、近くに見える桜並木(桜通り)を部屋の窓から眺め、車イスの自分が「はがゆい思い」であったようで、家族で支え、励まし、強い絆で結ばれるよう、義母への思いを作品に込めました。

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≪入賞≫ 自宅で介護(作詩の部)

寄りかかってる ベッドがきしむ
疲れた母さん 寝息で添い寝
ベッドの父さん 片手は背中
さすり感謝の 気持ち伝える
子どもが入れぬ 夫婦の時間

自宅介護の 柱は母さん
呼ばれて走る 駆け足の音
頑固な父も 頼りは母さん
母さんいなけりゃ 生きられぬ

両手で押してる 車椅子に父さん
母さん横に 寄り添い歩く
川辺に佇み せせらぎ聞けば
遠い記憶が 蘇る夕べ
介護不要の 父さんの姿
自宅介護の 柱は母さん
足痛めても 湿布で耐える
介護の父に 要るのは母さん
母さんいなけりゃ 生きられぬ

食事を口へ 運べば啜る
「美味しい」と言う 父さんがいる
介護者用の 特別メニュー
レシピを買って 母さん作る
二時間かけて 柔らかくして

自宅介護の 柱は母さん
私行く前 駆けては転ぶ
介護の父より 母さん心配
母さんいないと 私も困る

自宅介護で三ヵ月
父さん逝った天国へ
ぽっかり空虚な介護部屋
母さん佇む 今日もまた

作詩/細江 隆一(岐阜県加茂郡/54歳)

 父は6年前に亡くなりました。亡くなる前の3ヶ月間は「自宅で最期を迎えたい」という父の思いを優先し、自宅で介護を行いました。
 自宅介護を決めたときは「私も手伝おう」と思ったのですが、父が呼ぶのはいつも母でした。二人の間には息子である私も入れぬところがあるなと感じる一方、その父のために一生懸命介護する母の姿を素敵だなと感じました。

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≪入選≫ 聞かせて、もっと(作詩・作曲の部)

昨日のことより 大事なことだから
遠い記憶でも 鮮やかなんだね
聞かせてよ もっと 同じ話でいい
ずっとずっとずっと 聞いていたい

家族のだれもが 笑い転げてる
写真のあの日は 何があったの
聞かせてよ もっと 幼い記憶から
溢れこぼれ落ちていった日々を
最近 名前で呼ばれてないよね
耳の奥にある 優しい声で
聞かせてよ もっと いくつになっても
ずっとずっとあなたの子どもだから

作詩・作曲/増田 浩二(静岡県焼津市/65歳)

 小さい頃は父にべったりだったのですが、小学校高学年になる頃からあまり話さなくなり、とうとう亡くなるまで「ありがとう」と面と向かって言えませんでした。
 妻は、一人暮らしになったお義母さんのところに通い、よくおしゃべりをしていました。お義母さんが同じ話を繰り返しても、はじめて聞いたようにやさしく聴いていました。 そんな姿を見ながら、父とあまり話さなかったことが、ずっと心に引っかかっていて、今回それを歌にしました。

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≪入選≫ いつまでも(作詩の部)

おしゃべり好きな義父でした
記憶がかすむ歳となり
溺愛してた孫ひとり
遊んだこともうすれてく
ゆるやか時間 いつまでも

施設に会いに行くけれど
元気に見えるその姿
こちらのことをぼんやりと
遠い目してる義父がいる
昔の義父の思い出が
家族の心 めぐってる
長寿を願う一心で
施設を後に 後ろ髪
大事な支え いつまでも

あれこれ思う 帰り道
孝行したか 悔やまれる
多弁な義父の語り草
今では聞けぬ宝物
あの日の笑顔 いつまでも

中里見 富康(群馬県高崎市/68歳)

 病院に付き添った時などに、昔の思い出話を次々と話してくれました。おしゃべりが好きで、よくそんな細かいところまで覚えているなと感心したものです。
 そんなおしゃべり好きな義父の元気な姿を思い起こし、これからもいつまでも心のそばにいてくださいねとの思いがあります。

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